Cheri meサロンの皆さん、こんにちは☆

みえこ(みえてぃ)です。

 

週末は、Real me15期生東京の初回講座でした!

大阪・東京合わせて、約50名の講座生さんたちとの4か月が始まりました✨

これからの皆さんの変化を間近で見られることが、本当に嬉しいしわくわくします💕

そして、DIORのイベントにも行ってきました✨

世界観がめっちゃくちゃ可愛くて、最高に素敵でしたん☺

 

 

さて、今日は、『正解』を追い求めて生きてきた私のお話・・♡

 

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これまでずーっと『正解』を求め、『正解』を証明してきた人生だった。

数学の中でも『証明』が一番好きだった。

だって、正解はもうあって、前提・仮説を置いて、根拠を持って正しさを『証明』すればよかったから。

(ちなみに、個人的に、数学はすごく奥深くて、哲学的な学問だと思っている。数学を軽視しているわけではないので念のため。)

 

 

私は、子どものころから、周りの大人(両親、親戚、学校の先生など)の顔色を伺って、

表情や声の微妙な変化から感情を読んだり、相手が自分に求めるであろう反応や言動・行動をしたり、

期待されるであろう対応を察知して、先回りすることが当たり前だった。

社会人になってからも、クライアントが求めるものを察知したり、リスクや問題を俯瞰・分析して、解決策や交渉プランを考えることができた。

周りが自分に求める『正解』を、順調に『証明』してきた。

 

それができると、子どものころは、周りの大人が、「あなたがすることは正しいね」とか、「物分かりのいい子だね」、「賢い子だね」と褒めてくれたし、

学校では、成績は良かったし、褒められ、リーダーにもなった。

職場でも、評価され、認められ、大きな仕事も任されたし、特別扱いもされた。

 

ただ、それだけならよかった。

純粋にそれが当たり前だったし、楽しいだけならよかった。

 

でも、私は年を重ねるたびに、それらができることを、『正解』を証明できることを、

自分が周りの人たちから『愛される理由、必要とされる理由』だと感じるようになってしまった。

 

『正解』を出せるから愛される/必要とされる、

何かができるから愛される/必要とされる、

何かをやるから愛される/必要とされる、

などなど。

 

それらができない/やらない自分には価値がない、

『正解』どおりに生きられない自分は、誰からも求められないし、認められないし、愛されない。

何かをしないと、自分が動かないと、周りに必要とされないし、存在していることすら許されない。

 

だから、必死でがんばったし、

苦しくても苦しいって言えなかったし、できないなんて口が裂けても言えなかった。

だって、そんなことしたら、私は価値のない人間だし、誰からも愛されないから。

 

 

大学卒業して、就職して、仕事をバリバリがんばって、そこまではまだよかった・・

めちゃくちゃ苦しかったけど(当時は麻痺しすぎて自分が無理していることや、苦しいことにすら気づかなかったけど。)、

 

私を一番苦しめたのは、恋愛・結婚はまったく『正解』を出すことができなかったこと。

ほかのことでは、ずっと正解を出せてきたはずなのに、どうしても恋愛・結婚だけはどれだけがんばってもダメだった。

 

私が信じてきた恋愛・結婚の『正解』とは、『適齢期に結婚・出産する』こと。

だから、それができない自分を責めたし、できない自分がすごく恥ずかしかった。

『正解』どおり生きられない自分には価値がないから。

 

私は、世間がいう「適齢期」に結婚ができないのに、

周りの友人や同僚は、みんな「ふつう」に、「適齢期」に、「自然」に、「素敵な人」と出会って、「いい感じ」に進んで、

あたりまえのように高価な婚約指輪をもらって、豪華な結婚式を挙げて、

義両親とも仲が良く、素敵なマンションで暮らす。

 

正直、、めっちゃくちゃ僻んだし、狂うほど妬んだ。

(自分が「結婚」できないことを、自分の環境や生い立ち、周りの人のせいにしたこともあったなぁ。)

 

 

でもね、結局、なんでそれらがそこまでうらやましかったかというと、

それが『正解』だと思い込んでいたから。

私はその『正解』を出せないと価値がないと思いこんでいたから。ただそれだけ。

 

 

そして、その「適齢期」も「ふつう」も「自然」も「素敵な人」も「いい感じ」も、本来は人それぞれの基準があるはずで。

私が思い込んでいた「適齢期」、「ふつう」、「自然」、「素敵な人」、「いい感じ」の基準は、全部誰かや世間の基準なのに、

それに合わない自分を、勝手に罰して、価値がないと決めて、愛されないと思い込んでいただけ。

 

 

誰か/世間の基準で生きるのは、それを幸せと思い込むのは、実はとても簡単だ。

なぜなら、自分と向き合わなくて済むし、自分自身の幸せを考えずに済むし、

自分のことをよく知らなくて済む。

そして、何より、自分の人生を自分で考えて決めて動かして、その結果に責任を持たなくていいから。

 

 

そもそも、私の人生、誰か/世間の『正解』を証明するだけ、の人生で終わっていいのか!

一生、誰か/世間の基準に無理して当てはめて、

果たして、私の幸せはそこにあるのか(いや、ない)。

 

正解は「ある」んじゃない。

自分でつくるものなのだ。

 

人生は、既製品ではなく、オーダーメイドなのだ。

だったら、規格外でいいじゃないか。

型なんかハマらずに、自分のカタチをつくっていけばいいじゃないか。

 

(まるくなるな、☆になれ!っていうサッポロビールのCMを思い出すね笑)

 

 

たくさんの人と出会って、様々な価値観に触れるたび、

私の『正解』は誰かにとっての『不正解』で、

誰かにとっての『正解』は私にとっての『不正解』だということも実感した。

(『常識』も同じだよね。)

 

あるのは、自分自身の『正解』だけ。

 

 

とはいえ、誰か/世間の基準や正解を生きることは、私にとっては『愛される理由』そのものだったから、

そこから逸脱するのは、未知だしすっごく怖かった。

自分の本音を知ることすら、怖かった。

 

でも、私が欲しいものは、私が心から笑顔になれることは、

誰かの世間の中にはなくて、自分の中の奥の奥の方にあった。

 

私は小さなその本音のかけらを一生懸命拾い集めて、やっと自分のカタチを作れるようになった。

 

ここまで来るのは、私の場合、かなりの根気が必要だった。

あまりに、誰か/世間の基準が当然に刷り込まれ、最初は自分の本音との区別がつかなかった。笑

 

不思議なことに、自分が自分を諦めないでいると、

ふわっと自分の小さな本音が内側から聞こえてくる。

私は、本音に触れると、みぞおちの辺りがギューとなる。

 

そうやって、自分の心や身体の小さな変化や本音を丁寧に無視せずに拾い続けていると、

絶対に反応があるのだ。

 

だから、私のような超理論派、超武装女子でも大丈夫!笑

 

 

誰か/世間の基準の『正解』から、自分を解放してあげたとき、

私は、胸のあたりがふっと軽くなって、やっと深く息ができた気がした。

(あの浅い呼吸で、よく今まで生きていたな、と思うくらい。)

 

「私が歩いた道こそが、私の正解よ♡」マインドで生きましょう♡

(そう、「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる」で有名な、高村光太郎の「道程」からインスパイアされました笑)

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました♡